こんばんは。おはよう。

アカデミー賞授賞式はレオナルド・ディカプリオの主演男優賞をクライマックスに幕を閉じました。
授賞式中のTwitterの流速は2年前にこの写真が投稿されたときが最速でしたが、ディカプリオ受賞の瞬間がそれを更新しました。
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さて、華やかなハリウッドスターの裏で、地味ながら歴史に残る快挙が成し遂げられました。

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(プロデューサーのPato Escala Pierart)
チリ史上初のアカデミー賞を受賞した、短編アニメーション映画「Bear Story」です。

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一見かわいらしいクマの家族の物語ですが……。
チリの観客はすぐに、この話がピノチェト政権の寓意だと気づきます。

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(監督のGabriel Osorio Vargas)
1970年代のピノチェト政権時に国外追放され、イギリスで10年を過ごさざるをえなかった監督の祖父からインスパイアを受けてこの映画は作られました。
監督の少年時代に祖父はチリにおらず、出会えたのは大きくなってからでした。

Bear Story
https://www.youtube.com/watch?v=pSWSkZ41uOk  
10分で終わるのでぜひ観てみてください。 


ピノチェト独裁政権はチリ映画に深い傷痕を残しました。 
多くの映画監督やプロデューサーが自由を求めて欧州に脱出し、 帰ってきた人もいれば帰ってこなかった人もいます。

1973年のクーデター直後に妻と脱出した巨匠ラウル・ルイス監督は亡命先のパリでも旺盛な活動意欲を見せ、カトリーヌ・ドヌーヴの「失われた時を求めて」やジョン・マルコヴィッチの「クリムト」などで5回カンヌ国際映画祭に出品されました。フランス映画に南米のマジック・リアリズムを持ち込んだのは彼の功績によるところが大きいです。
遺作の「ミステリーズ 運命のリスボン」は267分に及ぶ長大な叙事詩で、日本でも劇場公開されました。 

チリを愛してやまない彼は2000年代に入ってチリに戻り、数本の低予算映画を作ったり教鞭をとったりしました。2011年にパリで亡くなりましたが、その遺体は遺言の指示どおりチリに埋葬され、葬儀の日はNational Day Of Mourningとされました。 


まったく違う形でチリへの再入国を果たした監督もいます。 ピノチェト政権以前にチリで最も人気だった映画のひとつ「Jackal of Nahueltoro」(1969)を撮ったミゲル・リッティン監督は、1984年にスペインからチリへの密入国を決意します。偽のパスポートと偽の妻を用意して別人になりすまし、ひそかにドキュメンタリーを撮影するために乗り込んだのです。

彼の潜入記はガブリエル・ガルシア=マルケスによって「戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険」としてノンフィクションにまとめられ、日本語にも翻訳されています。
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この本は出版された際、チリ政府によって1万5000部が「焚書」されました。

彼のドキュメンタリーの日本語吹き替え版がYoutubeにも上がっていました。ピノチェト政権の雰囲気を日本語で理解できる最も重要な映像だと思います。



はやくも気の早いメディアは来年のアカデミー賞を予想していますが、その中にチリのパブロ・ラライン監督の新作「Jackie」も挙げられています。ダーレン・アロノフスキー製作、ナタリー・ポートマン主演の、彼にとって初の英語映画です。
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アカデミー監督賞が4年連続ラテンアメリカ人に手渡される可能性も高そうです。